私たちは死をどう受け入れればよいのでしょうか?
宗教的な物語をそのまま信じて生きるのは難しく、科学的な世界観に立って永遠に生き続けることも現実的ではありません。そうした中でたどり着く答えの一つが「サレンダーする」という考え方です。
サレンダーとは何か?
「サレンダー(Surrender)」を辞書で調べると、「降伏する」「感情などに委ねる」「身を任せる」といった意味が出てきます。しかし、刀根健さんの著書『僕は死なない——全身末期癌から生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則』によると、単なる降伏とは異なる深い意味を持っていることがわかります。
以下、本書からの引用です。
「サレンダーって降伏するってことですよね?いまいちわからないのですが、サレンダーと諦めってどう違うんですか?」と聞かれることがありますが、僕が思うに、一番大きな違いは心の在り方じゃないだろうか。
明け渡し・サレンダーは自分を超えた存在に対する信頼がベースにあるので、基本的に気楽で安心している。自分よりももっと大きなものに身を任せている感覚が、安心感とリラックスと自己肯定感を生み出している。
一方、諦めは「自分の力では太刀打ちできない」という自己否定感や「こんなことになったのは他人のせいだ社会のせいだ」という他者否定だったりして、大いなる生の流れを否定してしまう。自我・エゴの特徴である抵抗・執着・判断をしてしまい、色々なところに引っかかって、生という川と一緒に流れていかない。
つまり、「諦める」は自己否定や絶望を伴うものですが、「サレンダー」はより大きな存在に身を委ねることで、安心と解放を感じることができるというのです。
末期がんからの生還とサレンダー
刀根健さんは、2016年に肺がんのステージ4を宣告され、翌年には脳転移が見つかるなど、「いつ呼吸が止まってもおかしくない」と医師から告げられる状況でした。しかし、彼は徹底的に病と向き合い、できることをすべてやり尽くしました。
そして、ついに「もうお手上げだ。降参するしかない」という境地に達したとき、突如として「サレンダーの領域」に入ったのです。そこから病状が劇的に改善し、現在も元気に活動を続けています。
この経験が示唆するのは、サレンダーとは「何もしない」という意味ではなく、「自分ができることをやり尽くした上で、大いなる流れに身を任せる」ということです。
サレンダーは宗教と科学の中庸の考え方
この「サレンダー」という考え方は、宗教と科学の対立を超えて調和する「中庸」の道を示しているように感じます。
- 宗教のように、特定の神や物語を絶対視するのではなく
- 科学のように、すべてを合理的に説明しようとするのでもなく
- ただ「生の流れを信頼し、身を委ねる」
これは、決定論的な世界観の中で生きる指針となり、宗教と科学のバランスをとる考え方とも言えます。
「死を乗り越えるヒント」としてのサレンダー
多くの人が死に対する恐怖を抱えています。しかし、「希望も持たず、諦めもしない。ただただ生の流れを信頼し、身をゆだねる」というサレンダーの姿勢を持つことで、死の恐怖から解放されるかもしれません。
死に抗おうとするのではなく、無気力に諦めるのでもなく、自然の流れに身を任せる。この姿勢は、死だけでなく、人生のあらゆる局面で役立つ考え方ではないでしょうか。
まとめ
- サレンダーとは:諦めではなく、大いなる流れに身を任せること
- 諦めとの違い:自己否定や絶望ではなく、安心と解放をもたらす
- 刀根健さんの実体験:末期がんから生還した経験から導き出された法則
- 宗教と科学の調和:特定の信仰に偏らず、自然な流れに従う考え方
- 死を乗り越えるヒント:死の恐怖に囚われず、人生の流れを信じる
この「サレンダーする」という考え方が、読者の皆さんにとっても、死と向き合う際のヒントになれば幸いです。
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